コラム
〈2023/03/02〉
子どもと過ごしたかけがえのない今日-ニュージーランドの詩
神奈川大学 渡部かなえ
神奈川大学産官学連携研究事業
お母さんが小さな子どもと過ごしたかけがえのない「今日」という日を振り返る詩。ニュージーランドの幼児教育施設の壁に貼られていた、お母さんの心に寄り添いそっと励ます優しい素敵な詠み人知らずの詩で、私もコロナ前に訪問した多くの施設で見ましたし、ニュージーランド国内だけでなく日本にも伝わってきました(2020年1月、NHK:参考資料1)。その後、コロナ禍で海外に行くことが難しくなり、この2月に久しぶりに視察調査に行くことができたのですが、視察地オークランドでは、園でも保育士養成校でも、もうその詩をみつけることはできませんでした。コロナでいろいろなことが変わってしまったし、オークランドは洪水やサイクロンの被害でコロナすら「遠い昔のこと」のようになっていたので仕方がないのかもしれませんが、3年間に及ぶコロナ禍ですっかり疲れてしまった日本の保護者そして保育士のみなさまに、今こそ、この詩をお届けすべきではと思ったので紹介します。
今日、
わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつはだんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが 床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだと思う
人に見られたら なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしていたの?とか
わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、
それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
ほんとにいったい一日 何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?
今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことを していたんだって
そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ。
(日本語訳・伊藤比呂美:参考資料2)
保護者や保育者による乳幼児の虐待が何件も報道されています。コロナで家に閉じこもる時間が長くなり、いろいろなことが制限され、健康のことも経済的にも不安が募り、親も子もストレスが溜まって追い詰められました。そんな子どもたちと保護者に対応する保育士さんたちも、受けとめきれないこともたくさんあって辛かったと思います。虐待は決して許されることではありませんが、子どもが被害者にならないよう守るだけでなく、保護者や保育者が加害者にならないよう大人の心を守ることができる保育環境を作っていくことが必要です。まずはお家の壁、園の壁や園からのお知らせに、この詩を貼って、疲れちゃったかもしれないけれど、自分はちゃんと子ども(子どもたち)と向き合って、今日というかけがえのない一日一日を子ども(子どもたち)と紡いでいる、と自分を励まし慰め褒めてほしいと思います。また、家族も、家の中がちょっとくらい散らかっていても、「子どもと親が元気ならいい・それが一番」としてほしいし、保護者の皆様は、園内が子どもたちの遊んだものや生活行動で少しくらい乱雑になっているのを見ても、「子どもが元気に園で今日一日を過ごせたのならそれでいい・それが一番」としていただけたらと思います。
【参考資料】
1)2020年1月21日にNHK News Up
2)伊藤比呂美、今日、福音館書店、2013